ひらがな法話hirahou
人生砂漠の案内人
昔のシルクロードの辺りの旅を思い浮かべてください。
ある時、商人たちの一行(隊商)が、旅を続けていました。すると、その途中で大きな大きな砂漠に出会います。
砂漠といっても、馬鹿にはできません。タクラマカン砂漠などは、日本の面積よりも広いといいます。そんな砂漠を迂回して旅をするのは大回りです。ちょうど東京から新潟に行くのに青森を回っていくようなものです。
だから、その砂漠を横断します。しかしながら、ご存知の通り、砂漠には道もなければ山や川などの目じるしもありません。そこで、砂漠の向こうの都までの道案内を雇います。
ところが、この案内人は、高い日当を払っているにもかかわらず、何にもしません。ラクダの世話もせず、食事の手伝いも、テントを張るときも知らん顔です。
「目的地は ?」 と問えば「あちら、西の方へ前進だ」と答えるだけで、昼間はラクダの背中で居眠り、夜は一番先に寝て、朝は最後に起きます。
こんな案内人を見て、商人たちは腹が立ち、高い日当を支払うのが勿体無くなりました。そして、とうとう、その案内人をクビ(解雇・追放)してしまいました。
その次の日、どっちに進めば良いかということになりましたが、そこは、商人のしたたかさです。
「心配ないさ。昨日、こっちから来たんだから、今日はあっちさ。」
と前の日に来た方角に印をつけていて、次の日の歩みを決めて進ん行きました。
しかし、残念ながら、人間はまっすぐに歩くことはできないものです。傾いた地面を歩くときなどはとくに、それてしまいます。
つまり、西へ向いて歩いているつもりでも、知らず知らずに北向きへそれていたりします。
そうとも知らず、隊商たちは「昨日、あっちから来たのだから、きょうはこっちさ。」と、昨日は西向き、今日は北向きに…と旅を続けました。
その結果、広い広い砂漠の中をグルグルとさまよい続け、とうとう、水も食料も尽き、全員飢え死にしたということです。
実は、何もしないように思われていた案内人は、みんなが寝静まった後に起き抜けて、満天の星を見て、天文学でしょうか、今自分たちのおかれている位置(現在地)を割り出し、目ざす都の方角をさだめていたのです。
そして、それを明け方までかかって正確な方向割り出して印をつけて寝ました。だから、朝寝坊で昼間は居眠りだったのです。
これは、お釈迦さまのたとえ話です。
目先のお金を惜しんで、案内人をクビにした商人とは、この私のことです。
ラクダの世話とは、子育てでしょう。
テントを張るのはマイホームを建てること。
そして、食事の用意「食わねば生きられぬ」とアクセクすることかもしれません。
しかし、どれほど立派に家を建てても、子育てをしっかりしたつもりでも、案内人のいない旅は、上の隊商たちの結末と同じです。
今、あなたは、人生の案内人(ナビゲーター)をもっていますか。このHP 人生ナビを通して、現代の人間砂漠の案内人(釈尊と親鸞聖人のみ教え)と出逢っていただけたら思います。