ひらがな法話hirahou
無言の行
ある時、四人の僧が一本のローソクをまん中に置いて、無言の行を始めました。無言の行とは、その最中は、口から声を出してはならない、つまり話してはいけない…という行です。
やがて、一日が過ぎて夜になりました。夜風が吹き、戸がカタカタ揺れます。しかし、気を散らさずに黙っています。そのうち すきま風でロウソクの炎が揺らぎます。心も少し揺らぎます。ですが、口を開いてはなりません。
ところが、強めの風が吹いたとたん、ローソクが消えてしまったのです!
「あっ、火が消えた!」
思わず、一人の僧がと言ってしまいました。
すると、もう一人の僧が、
「こら、今は しゃべっては いけないのだぞ」と注意しました。
そして、別の僧が、「『しゃべるな』 といいながら、そう言うお前がしゃべっているではないか!」と、やはり、しゃべってしまいました。
これで、三人とも無言の行は失格です。そこで、ずっと黙っていた最後の一人が、「結局、しゃべらなかったのは、私だけだ」と言いました。
つまり、全員失格です。
これは、鎌倉時代の『沙石集』(無住一円著)にある説話を参考に、ちょっとアレンジ(脚色)したものです。(どうやら、落語にもあるらしい)
こんなふうに、私たち人間は、他人のことはよくわかるが、自己自身のことは、なかなかわからないものです。
でも、自分のことを一番よく知っているのは、自分だと思っています。自分の目で自分を見ることは、決して出来ないのに。
自分のことは、「確か」で「正しく」て、その思いを離れられない。だから、その自分にとらわれて、周りの人(自分以外)を責めてしまう。善い事をしたら、その善い事にとらわれて、それで仏さまに近づいたと思ったり、善い事をしていない人を見下げたりします。
「南無阿弥陀仏」とは、そんな思いや我執(とらわれ)に縛られている私に対して、
そういう「思い」や「とらわれ」こそ、一番危ないよ
ほんとうの「わが身」を知れよ…
と、はたらきかけて下さっているのです。