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ひらがな法話hirahou

おかげさま?おひなたさま?


もう何十年も前のことだと聞いています。

ある国の王様が日本に来て、文明の素晴らしさに感動されました。とりわけ、蛇口をひねると水が出る水道を初めて見て、その便利さにはとても驚かれました。

そして、何を思ったのか、とうとう水道の蛇口をお土産に持って帰ろうとしたということです。どうやら『水道の蛇口』は、壁にくっつけるだけで、水が湧き出る不思議な『機械』だと思われたようです。

蛇口のついた壁の向こうには、水道管があって、それが建物の中を巡らされ、町外れの水源地までつながっていることを知らされてその王様は苦笑されたといいます。
しかし、私たちも、この王様のことを笑えたものではありません。

というのも、ある時、日曜学校(子ども会)で水道の便利さに感謝しようと相談したところ、各所の『水道の蛇口』をピカピカに磨いて、「ありがとう」と言っておしまいでした。

残念ながら、誰一人として、縁の下や床下に入って、『水道管』にハタキや雑巾をかけた子どもは、いませんでした。水道管は、蛇口まで水を届けるために、暗い所でクモの巣やほこりにまみれながら、じっと横たわっているのですが・・・。
さて、「おかげさま」ということは、この水道管のように日の当たらない、目に見えないところまで、お礼を言う言葉でしょう。蛇口だけを磨いて終りなら、「おかげさま」でなくて、「おひなたさま」です。

そして、そんな日陰のご恩まで知らされるのは、私の知恵ではなく、仏さまの智慧によるのです。ですから、「おかげさま」という言葉は、仏さまの教えがしみこんだ日本語だけのもので、英語やドイツ語にはないと聞きます。

とはいえ、私は案外軽々しく、自分の思いや考えでわかる範囲で、「おかげさま」と言っているような気がします。

お礼だけではありません。犯した罪や過ちを「悪かった」と悔やみ謝るのも、自分のわかる範囲のことだけです。知らない間に気づかず犯した罪は、謝る事も、反省することもありません。

知っている範囲で感謝して、わかっていることだけ、お詫びをして、それで済んだと思っているのが、私のありさまでした。

私の思い・考えの及ばない、大いなる(不可思議な)はたらき(=他力)の中に生かされている今。

『おかげさま』・・・もう一度深く味わいたい言葉です。