ひらがな法話hirahou
エライ患者
最近、「エライ患者」が増えている…とお医者さまが言われます。
確かに、「みのも@た」さんや「あるある大@典」などのおかげで、患者さんはずいぶん「エラク」なりました…。
そのエライ患者が、お腹を押さえながら診察室に入って、言ったそうです。
患:先生、私はどうも 肝臓が悪いみたいです。すいませんが肝臓の薬下さい…。
医:えっ?ちょっと待って。肝臓かどうか、わからないでしょう。まあちょっと横になってお腹を見せなさい。
(患者のお腹を押さえながら医師がたずねます)
医:ここはどうですか?…ここは?
患:そ、そこ、そこが痛いんです」
医:ほらほら、ココは肝臓じゃありませんよ。腎臓です。
患者が自分のいい加減な知識で勝手に自分を診立てるとこんな具合です。そんな患者のいうがままに肝臓の薬を出しても、腎臓の病気は治りません。
診立てるのは 確かな医術を学んだ医師にお任せした方がよいでしょう。そして、医師から私の病気に応じた薬を処方してもらうのです。
同様に、「ほんとうの自分」も、自分で「診立て」たのでは、出会えません。自分中心というアテにならない物差しで見立てるのではなく、仏さまの確かな間違いのない智慧で 「診立て」てもらうとき、自分さえも知らなかった「ほんとうの自分」に出会うことができるのでしょう。
仏(阿弥陀)さまの私に対する「見立て」は、聖典の中には、
「邪見驕慢悪衆生(じゃけんきょうまんあくしゅじょう)」とか
「地獄必定(じごくひつじょう)」と説かれます。
ちなみに、阿弥陀さまからチラッと見せてもらった私のカルテには、
「無自覚性自己中心症候群」ならびに
「不治癒型悪性傲慢炎」とありました。
そして、病気に応じて薬を与えるように、まともな修行もできず、心からの善いこともできない私を見抜いた上で、この私ために処方して下さったのが ナモアミダブツというお念仏です。
ところが、エライ患者は その薬をすぐには飲みません。まずは薬袋を見て、
「何々?この成分は、デキサメタゾン、トリアムシノロン、パラメタゾン……」
…しかし、どれほど薬の成分を分析しても、薬は それを飲まなければ病気は治りません。
南無阿弥陀仏も同じです。南無とは? 阿弥陀とは?…と、どれほど知識で理解しても、私が迷いから逃れることはありません。薬を飲むように、まず口に、ナモアミダブツ、ナモアミダブツと お念仏させてもらいましょう。
きっとその中に「わが身を知れよ」と私を心配し続け、よび続けて下さる仏さまの願いと出会わせていただくことでしょう。