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ひらがな法話hirahou

重箱の中には


その昔、お念仏をたいへん喜んで暮らしていた おじいさんとおばあさんがいました。

ある日、そのおじいさんの家に旅の修行者がやってきました。その修行者は、

「自分は厳しい修行してきたから、未来のことを見通すこともできるし、さとりも直ぐにパッと開くことができるのだ」といいます。

おじいさんは

「そうですか。そうですか。」と、うなづいていますが、別段 驚いた様子もありません。修行者は

「どうした? 驚かないのか?」と聞きます。

すると おじいさんは、おばあさんが お茶といっしょに持ってきた重箱を指差して、言いました。

「お坊さま、ここに重箱がございます。この重箱の中に何が入っているか重箱のフタを取らずに 言ってみてください。」

「そんな馬鹿なことが できるか。フタも取らずに中身がわかるものか」と修行者は答えます。

「ありゃありゃ、未来を見通し、パッと悟りを開くお方なら、重箱の中身くらいすぐにわかると思いましたのに…。」とおじいさんいうのものですから、修行者は 言い返します。

「それなら、じいさん、あんたは 中身が言えるのか?」と。

「はい。私は いえますよ。」とおじいさんが 答えたものですから、 修行者は重ねて

「それなら、言ってみろ。」とおじいさんをせかします。

そこで おじいさんは ゆっくりと おばあさんの方を向きなおして

「ばあさんや、この重箱の中には何が入っておるのか?」と聞きます。おばあさんが

「はい。その中には ボタ餅が6つ。アンコの餅が3つ。黄な粉餅が3つ入ってます」と答えますと じいさんは 修行者の方へ向き直って、

「お坊さま、お待たせしました。その重箱の中には ぼた餅が6つ。アンコの餅が3つ。黄な粉餅のが3つ入ってます。」と いいました。

これを聞いて修行者は

「そんなもん、人に聞いたら フタを取らんでも だれでも わかるわい!」と怒りました。

ところが、おじいさんは すました顔で 言いました。

「はい。そのとおり。私には フタを取ることもできなければ、中を見通す力もありません。しかしながら 中身をちゃんとご存知のお方の仰せを 聞けば フタを取らずとも 確かに中身を知ることができます。

同様に、厳しい修行を積むことも、善根を励んで 自分で悟りを 開くことは私にはできません。

しかしながら、どんなことがあってもこの私をおさめ取って決して見捨てることはないという 阿弥陀さまの 仰せを 聞かせてもらえば、如来さまのおはたらきひとつで、お悟りを開かせていただきます。」と答えましたとさ。 おしまい。

 

※ これは、親戚のお寺の通夜の席で、遠くから帰ってきたお寺さんが 話してくれたものです。私の耳の底に残るままを書かせていただきました。