ひらがな法話hirahou
また会える、いま会える
◆◇◆ ウチのとうちゃん、どこ? ◆◇◆
むかしむかし、ある所に一人のおばあさんがいました。そのおばあさんは、まだ子どもが幼いときに連れ合い(ご主人)に先立たれます。そして、そのことがご縁となってお寺にお参りするようになり、お念仏の教えに出遇(であ)われました。
「そうか。とうちゃん(主人)とは、この世かぎりのご縁じゃなかった。やがてまた仏さまの国(お浄土)で必ず会わせていただけるのだ。
そして今も、ナンマンダブ、ナンマンダブとお念仏の中に私のところへかえってきてくれている。ナンマンダブ…」
と お念仏の日暮しを送って一生を終えました。
お浄土に生まれたおばあさんはすぐに、なつかしいご主人(とうちゃん)を捜します。しかし、ご主人の姿はどこにも見当たりません。
「あれ、おかしいな。ウチのとうちゃんは、どこにいるのだろう…。ここでまた会えると聞かせてもろうていたのに…。」
ちょうどその時です。おりしも阿弥陀さまが近くを通りかかられました。おばあさんは、矢も楯もたまらず阿弥陀さまの袖を引っ張ってたずねます。
「あのぅ、阿弥陀さま、ウチのとうちゃんは、どこにいるのでしょうか?」
その問いかけに 阿弥陀さまは、にっこりと微笑んで おっしゃっいました。
「ばあさんや、ありゃぁのぉ、ワシだったんで」
(↑温泉津弁です。標準語で言えば、「ばあさんや、あれ(とうちゃん)はね、ワタシだったのですよ」となります)
* * * * * * * * * *
こんなお話を近所の先輩住職さんがしてくださいました。私は聞いた途端に、言い知れない感動を覚えました。
さて、これはいったい、どういうことでしょう。
「ウチのとうちゃんが阿弥陀さまだった」ということは、阿弥陀さまが「ウチのとうちゃん」という姿となって、はたらいていて下さったということです。
◆◇◆ 先立つ子に 導かれ… ◆◇◆
あの平安時代の女流歌人・和泉式部は愛娘に先立たれています。彼女は、その時の気持ちを古歌に託して
「子は死にて たどり行くらん 死出の旅 道知れぬとて 帰りこよかし」
と嘆いたといいます。まさに亡き子を思い、心配する親心いっぱいの歌です。
ところが、その和泉式部が仏さまの教えに出遇って歌が変わります。
「夢の世に あだにはかなき 身を知れと 教えて帰る 子は知識なり」
と。知識とは、仏教語で「正しく導いてくださる方」という意味です。
つまり、先立ったわが子が自分のいのちをかけて、
「母さん、これでもわからないの?いつ終わるかわからないのが、 いのちなのですよ。 必ず迎えなければならない死があるのです。だからこそ、大切に生きて下さい…」と教えて仏の国へ帰っていった…と詠んだのです。
よその子が死んでも他人事にしか思わない私のために、今あの子は、「私の子として生まれ育ち、先立って真実を教え知らせようとしてくれた仏さまだった」といただかれたのです。
「ウチのとうちゃん」も、おばあさんのご主人として連れ添い、苦楽を共にした日々を経て先立ち、 おばあさんをお念仏の教えに遇わせて、浄土へと導いて下さった、おばあさんにとっての仏さまだったのです。「よそのとうちゃん」なら、こうはいきません。
私は今、このことを浄土に往生した後ではなく、生かされているこの時に聞かされたことに意味があるのだと思います。
◆◇◆ 我れ以外、皆、我が菩薩なり ◆◇◆
そもそも仏さまの姿は「法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。(『唯信抄文意』註釈版聖典P709)」とありますように、私たちの目には見えません。
しかし それならばと、私のまわりにさまざまな「菩薩」となって現れ、そのはたらきを示されます。それは、やさしい姿の菩薩であることもあれば、時には厳しい姿だったりします。あるいは「憎まれ役」になってこの私を真実に導き育てて下さることもあるでしょう。
『親鸞』の小説で名高い作家の吉川英治氏は、「我れ以外、皆、我が師なり」と言われたそうですが、お念仏申す人生では「我れ以外、みな我が菩薩なり」といただくことができるでしょう。
亡き人をご縁に仏法に会うとき、また会える世界があることを知らされます。いや、「すでに出会っていた」のでした。そして今、ナモアミダブツとなって私といつもいっしょに歩んで下さっているのです。
やがて、人生の幕が降り、浄土へ往生させていただいたとき、阿弥陀さまがおっしゃって下さるのでしょう。
「あれはね、ワタシだったのですよ」と。
▼ 文中のさし絵は、この法話が本願寺新報(平成17年3月10日号)に掲載されたときのものです。(本願寺新報社からは転載許可をいただいています)
▼ この法話の大きな文字で、さし絵もたくさんで 読みやすいPDF(印刷用)ファイルもあります。
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▼ 上のさし絵の彩色、PDFファイルはどちらも 河久保同行の部屋の釋照栄様が作成して下さいました。(多謝)