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住職ノートnote

いのちをかけて


本願寺第16代門主・湛如上人(たんにょしょうにん)の内室は、東山天皇のひ孫に当たる方(閑院宮直仁親王の息女・始宮)でした。(※本願寺では門主の配偶者を お裏方さまとお呼びします。)

湛如上人は容姿端麗、眉目秀麗という、今でいえばイケメンでしたが、病弱で当時はまだ不治の病であった肺結核に侵されました。そこで、お裏方さま(始宮)や実家の閑院宮家の人たちは、心配のあまり、病気平癒ための「祈祷」をおこないました。

ここで、確認しておきますが、「深く因果の道理をわきまえ、現世祈祷やまじないを行わない」(「浄土真宗の教章」より)のが浄土真宗です。ところが、その祈祷で 門主の病気が治ったり、落ち着いたならばどうでしょう。

そこに真実の因果関係はなくとも、宗門が否定する祈祷で 門主の病気が治ったということになり、これは先哲が護り伝えてきた 念仏の教えを台無しにしてしまうことになります。

そこで 当時の本願寺の能化職(最高責任者)である日渓法霖は、門主自らが祈祷で病気が治ったとなっては、宗義が崩れるとして、湛如上人に直接 いさめ、祈祷が無効であることを示す方法として門主が自害することを勧めました。

そのことを理解された湛如上人はお念仏の教えを護るため、自らそのいのちを絶たれます。行年 27才のことでした。
また、日渓法霖も 湛如上人の百ヶ日法要後、門主後継等の諸問題を処理して自分のお寺に帰る途中で 割腹自殺しました。時に49歳。

初めて この話を聞かされたとき、とてもショックだったことを覚えています。それまで、いとも簡単に 「祈祷や占いなど迷信です」と言ってのけていた自分の言葉が とても軽く思えてきました。
大切な掛け替えのない自分の人生(いのち)を迷信などに振り回されはならない…と、自らの「いのちをかけて」、私のいのちの心配をして下さったたわけです。

註) その後…
この話は 「口伝え」として聞かされきたもので、確かな史実・資料は確認されて いないことが判明しました。
湛如上人・法霖はともに急死であったらしいのですが、それが自死であったというのは俗説であり現在では 否定的な見解がなされています。

ということで、ここでは あくまで「話」として 読んで下さい。
要は、これほどまでに迷信や俗信に惑わされることのない正しい教えを いのちをかけて護り、伝えてきて下さった先達のこころをいただきたいと思います。