住職ノートnote
仏さまを見せてくれたら…
仏さまを見せてくれたら、信じる
浄土を拝ませてくれたら、信じる
ということは、ちょうど、
食べたことのない珍しい果物が出されたときに
先にその味を わからせてくれたら食べる
と答えること同じです。
口に入れるより先に 味を知らせることはできません。
食べているうちに 味がわかるのです。
仏さまも 浄土も、そのお話を じっと聞いているうちに、見たよりも拝んだよりも、確かに出会わせていただけるのです。
味が わかって、食べるのでは ありません。
食べているうちに味が わかっていくのです。
※このおたとえは、大谷光照 前門主さまが話されたこととして 本願寺発行の基幹運動冊子『共にあゆむ』(第何号か不明)に掲載されていました。
残念ながら、その原文の控を失くしましたので、おぼろげな私の記憶をもとに書きました。