誕生日をお迎えの方へbirthday
誕生日は、「おめでとう」ではなく、「ありがとう」の日です。
なぜならば、誕生日は私が生まれた日ではないからです。
誕生日は、私が生まれた日ではなく、お母さんが私を生んでくださった日なのでした。
実際、私は一人で(自分の力で)生れてきたのではありません。
そのいのちが宿った日から出産までの間、およそ10ヶ月という間、個人差はあってもツワリを耐え、冷やさぬように、転ばぬようにと、たくさんの心配を母親にかけました。
その上に、あの陣痛があります。
それは昔から「障子の桟(さん)が見えなくなる」ほどの痛みだと言われます。
もし、男性が陣痛を体験したならば、とても耐えきれず気絶してしまうと聞いたことがあります。
こんなふうに、お母さんが命がけで私を生んでくださった日が、誕生日です。
いいかえれば、わたしがお母さんに「いちばん迷惑・難儀をかけた日」です。
ですから、「おめでとう」ではなく、「ありがとう」なのです。
考えてみれば、母親というものは、自分に迷惑をかけた張本人に向かって、「よく、大きくなったね。」と祝ってくれるのですから、有難いものですね。
そして、子どもから「生んでくれたありがとう」と言われた親のこたえは、「生まれてきてくれてありがとう」です。
そういえば、あの水戸黄門さまといわれる徳川光圀さんも、誕生日は「母、難渋の日」であると言って、自分の誕生日には三度の食事は梅干しとお粥だけにして、親のご苦労を偲んで過ごしたといいます。
これも、誕生日ありがとうです。
さて、
この世に私を生んでくれたのが母親ならば、この生命終わるとき、お浄土(仏の国)へ生んで下さるのは、阿弥陀さまです。
命日は、お浄土への誕生日です。
怒り・ねたみ・欲望いっぱいの私を、お浄土に生まれ(往生)させるためには、10ヶ月どころのご苦労ではないでしょう。
ツワリも大変なことでしょう。どれほどの陣痛をなさることでしょう。(お経には、「五劫思惟」・「兆載永劫修行」などとあります)
にもかかわらず、阿弥陀さまは、わたしのことをいつも心配して、大切に生きよ、確かに育っておくれよと見守っていてくださいます。
どうです、今年の誕生日には「おかあさん、ありがとう」と言ってみませんか?
もちろん、「阿弥陀さま、ありがとう」の心は、「ナモアミダブツ・南無阿弥陀仏」とお称えします。
誕生日には、「ありがとう」
そして、誕生月には、西楽寺のご法座へ…!