法話&コラムhouwacolumn
この私が、この私のまま、いのちいっぱい生き抜くことができる道。
それが、お念仏(南無阿弥陀仏)の道です。親鸞さまは、それを無碍(むげ)の一道と言われました。ここでは、その無碍の一道をバリア・フリー・ウェイと味わいます。
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「バリアフリー」とは、英語の「バリア(障壁)」と「フリー(自由な・~からのがれる)」を一緒にした言葉で、 障壁となるものを取り除き生活しやすくすることを意味します。もともとは建築用語として登場し、建物内の段差の解消など、物理的な障壁の除去と いう意味合いが強い言葉ですが、最近ではより広い意味で用いられるようになっています。
『歎異抄』という書物(親鸞さまの教えを弟子の唯円が、書き留めたといわれる)に 「念仏者は無碍の一道なり」という言葉があります。この 無碍の一道 を、日日あらたにでは バリア・フリー・ウェイ と言い替えさせていただきました。
無碍 とは、無礙とも書いて、「むげ」と読みます。碍(礙)は、「さまたげ」、「へだてる」という意味ですから無碍とは、「妨げられない」、「障りがない」、「邪魔されない」、つまり バリア・フリー ということになります。
阿弥陀さまは、何ものにも妨げられることも、邪魔されることもなく、この私を照らし、導いて下さいます。(=バリア・フリー)
そして、その光明に照らされた念仏者は、日柄や方角が悪いとか良いとなどという 迷信などに振り回されて自らの人生を狭めることもありません。 (=バリア・フリー)
だから、どんなことに(病気・災難…)にであっても、そこから逃げることなく、前を向いて引き受けることができるのです(つまり、邪魔にならない=バリア・フリー)。
そしてそれは、つまづいた石を無駄にすることなく、その石を踏み台にして、一段上に進むことができるような生き方(一道=ウェイ)です。
こんなふうに、人生をいのちいっぱい、広い世界に生き抜くことができるのが、お念仏の道です。それを 『歎異抄』には、無碍の一道とあり、この「日日あらたに」では バリア・フリー・ウェイと 言っているのです。
無碍の一道
この私が、この私のまま、いのちいっぱい生き抜くことができる道。それが、お念仏(南無阿弥陀仏)の道です。親鸞さまは、それを無碍(むげ)の一道と言われました。
「障りなき人生」・「What’s 南無阿弥陀仏」・「浄土への道」のコーナーが あります。
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念仏のこころを、専門用語をできるだけ使わずに、「ひらがな」で お伝えできたら…。そんな思いで、つづった法話です。
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浄土真宗のみ教えを 、教科書的な表現でなく日頃わたし(住職)が、聞かせていただいていることを通して、ささやかながら、私なりに、「ひらがな」でつづってみました。
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聞くは 一時の恥、 聞かぬは 末代の恥。さあ、イロハの 「イ」からたずねましょう
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