七七日のたより(四十九日法話)77-49
七七日のたより
四十九日法話
南無阿弥陀仏。
いよいよ、七七日(四十九日)がまいりました。
人生は旅だといわれることがあります。そして、それは他の人と代わることのできない一人旅でもあります。
では、その旅の行き先は(目的地)はどこなのでしょう?あたなは、行き先が答えられますか?行き先のわからない旅は、旅ではありません。彷徨(さまよい)です。そしてそれは、とても不安なものでしょう。
「死んだら、しまいよ。何にもなくなるだけさ。生きているうちに楽しまなければ…」‥といわれる方があります。しかし、死んで無に帰す(何もなくなる)というならば、生きがい(生きる意味)もありません。
そんな全てを奪う(無にする)死ならば、とてもおそろしく、受け入れることはできません。しかし、その死を、いくらごまかしても最後は必ず引き受けなければなりません。
わたしたちお念仏をいただくものは、死んだらしまいではなく、また会える世界(浄土)をいただいています。生を奪う死さえも、いのちの帰依所「浄土」への一歩として、踏み出すことのできる道がありました。
七七日も終わりました。これから、人生の行方、いのちの帰依所をたずねさせていだきましょう。合 掌