ひらがな法話hirahou
いのちの日めくり
関西在住の先輩住職から、こんなお話を聞かされました。
あるお寺の住職が、体調を崩して病院に行くと、癌(たしか喉頭ガンだったと思います)に侵されていることがわかりました。それも末期ガンで、もはや手術もかなわないことを本人も知らされました。
気丈なその住職は、自分があとどのくらいの生命なのか医師に尋ねます。すると、「長くて百日…」という答えが返ってきました。それならば、と住職は入院を取りやめ、お寺で死を迎える決意をされました。
そして、お寺に戻って一番先にしたこといえば、百日分の「日めくり」を作ることでした。あと百日、といわれたのですから、百枚以上は不要でした。とはいえ、手製の日めくりには、それなりの厚さがありました。
一日の終わりに、その住職は日めくりを1枚めくります。
「今日も一日生かされた…」と。
一日、一日… 一枚、一枚… とその日めくりは薄くなります。それにつれて、住職の体も痩せ細っていきました。
やがて、あと3枚を残す97日目の朝、もはや日めくりまで手を差し出す力もなくなり、とうとうその日の夕方、ご臨終を迎えられたということでした。
ここまで話してくれた先輩住職は、私に言いました。
「オマエ、あの住職がどんな気持ちで日めくりをめくっていたか、わかるか!? いのちの日めくりなんだぞ…」 と。
実は、うちのお寺にも、ある会社からいただいた日めくりがあります。しかし、元来、不精者である私は、日めくりどころか月々のカレンダーでさえ、なかなか月の変わり目にめくることができません。
まして、1日ずつの日めくりに至っては、その月の16日が来ても、まだ12日くらいだったりして、あわてて、「13、14、15、16…」と4~5枚をまとめて破る始末です。そして、その紙は裏を使うほどではない薄紙なので、クシャクシャっと丸めてごみ箱へポイ、です。
私は、その5日間を「クシャクシャ、ポイ…」で生きたんでしょうか。先輩からこの話を聞かされて、自分がいかにその日その日を粗末に生きていたのか、思い知らされました。
門徒さんには、「明日がわからぬ生命を大切に…」と、えらそうに言っているにもかかわらず…。
このHPの人生ナビのコーナーで、「80年で約3万日」と計算していますが、いのちの日めくりは、その80年分(約3万枚)が、はじめから綴ってある訳ではありません。
一日が終わるとき、日めくりを掛け降ろし、次の朝が来てまた「今日も一日もらった」と掛けなおす…という言い方が本当なのでしょう。
今年で何歳。と年数で人生をとらえるのではなく、「今日で生後何日目」、と1日単位で見つめ直すことも、いのちをいのちいっぱい生き切る手がかりになりはしないでしょうか。