ひらがな法話hirahou
風が吹けばこそ
世の中は 「こそ」 二文字の つけどころ
みだれるも「こそ」 おさまるも 「こそ」
こんな歌が あります。「こそ」という たった2文字のつけどころで 世の中が変わる…という意味です。
さて、どういうことでしょう?
3世代同居のご家庭を想定して 具体的に考えてみます。
お年寄りが 次のように言ったとします。
「ウチの若いもんは、ワシら年寄りのことをちっとも大事にせん。アイツらが、家や子どもをほったらかしで金もうけができるのも ワシらが 家に居て孫の世話から近所付き合いまでしてやればこそなのに…。」
すると、若いもんも 負けちゃいません。
「何言ってるの。ジイさん立ちが 昼間っから家でのんびりできるのも、俺たち若いもんが、朝から晩まで汗水たらして 働いていればこそ じゃないか!」
こんなふうに、こそを 自分の側につけると愚痴・不満となって 乱れます。
ところが、こそのつけどころが替わって、
「ワシら年寄りが、家でゆっくりできるのも、若いもんが外へ出て働いてくれりゃこそだった。風呂でも沸かしておくか…」となれば、
「いやいや、俺たちが家も子どもも放っておいて 安心して働けるのも、ジイさんたちが 家を守ってくれればこそだった。ひとつ肩でもたたこうか?」ってことになります。
こそが 相手側についたとたん、感謝となって おさまります。
ところで、「風が吹けばこそ、旗は美しい」という言葉があります。
しかし、美しい旗は見えても、そこに吹く風は見落としてしまいます。自分の人生もあの旗のようになりたい…と思いながら、その一方では、「風が吹かぬように…」と失敗やつまづきを恐れます。
青空を背に 美しく はためく旗は、高い場所で強い風をまともに受けていればこそ、でした。
お念仏の道は、占いや迷信に振り回されて、風が吹かぬことを願うことではありません。どんな事にであっても それにこそをつけて 引き受け、力強く生きぬく道です。
「失敗すればこそ」、「つまづけばこそ」…。
PS
①はじめの歌の対(答え)の歌は、次のとおりです。
こそこその こそはこちらの ものならず
こそはあちらの こそにこそあれ (ヤヤコシイですね)
②相手につけたら おさまるこそを 自分側に とってくる人を「こそ泥」というそうです…。(^^ゞ
③こそを自分側につけたお参りが、下の「請求書参り」です。(あわせてご覧下さい)