ひらがな法話hirahou
シッポ
我が家の愛犬「ゴン」を見ていていると、気の毒になります。
「おまえはシッポがあるために、ウソがつけないなぁ」
喜んでいるのか、こわがっているのか、シッポをみれば一目瞭然です。
人間にシッポがなくてよかったとつくづく思うことがあります。
もしも、人間に犬のようなシッポがついていたらどうでしょう?
怖そうな顔をして、肩で風をきって歩くオニイサンのシッポが、股の中に巻いていたり、お通夜の席で「お気の毒です…」とお悔やみの挨拶をしている人のシッポが左右に勢いよく振れていたりして…。
でも、幸か不幸か、人間は シッポがないので 心の中まではわかりません。
では、シッポの代わりに、テレビをつけてみたらどうでしょう。
思っていることや考えていることが、文字放送で映るテレビを。
それも胸の真ん中あたりに…。
もしも、こんなテレビがついていたら、私は朝起きた時からテレビの画面を隠して「おはよう」って言わなきゃならないかも…。
「心の中が見せられるものなら 見せて上げたいよ」なんて言葉は、それが見せられないから、言えるのかもしれません。
親鸞さまは 「こころは蛇蠍(じゃかつ)のごとくなり」(自分の心の中は恐ろしい毒をもった蛇や蠍のようだ)と言われました。
阿弥陀さまは、そんな私の上辺だけでなく、私の心の奥底まで見抜いた上で心配して下さいます。私以上に私の真実の姿を知りとおしていらっしゃるからこそ、「放ってはおけない」と立ち上がって下さいました。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」
お念仏は、そんな「わが身」を知らせて下さる、「心の中の実況中継」なのかもしれません。