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ひらがな法話hirahou

みんな 「うちの子」


若いお母さんが、赤ちゃんを予防注射に連れて行ったときのことです。

母子共に初めての経験なので順番を待つ間に、前の人の様子をうかがうように見ていました。

まず、赤ちゃんを前向きに抱いて膝の上に乗せて腕を出します。つづいて脱脂綿でアルコール消毒。そして、いよいよ注射器の針が赤ちゃんの小さな腕に刺さったその時です。

注射をされた赤ちゃんは、驚きで目をパチクリ。

ところが、支えていた母親の方が、何とも痛そうに顔をしかめているのです。「針がささったのは赤ちゃんなのに…」と思っていると、次の母親も同じように痛そうな顔をしています。

やがて順番が来て、いざ自分の子に針が刺さると、やっぱり自分も思わず痛そうな顔をしてしまいました。子を思いやる母の心とは、このようなものでしょう。赤ちゃんに針が刺されば、我が子と同じように、いや、それ以上に痛みを感じているのです。

これは如来さまの慈悲の心とよく似ています。

『異体同心』という言葉があるように、身体は別々で異なるのに、心は同じなのです。「つらいだろうね」と一緒に泣き、「よかったね」と一緒によろこんで下さるのです。

しかしがら、我々は共に悲しんだり、共によろこぶことは、なかなか出来ません。それどころか『隣りの家に蔵がたてば、わしの心に腹がたつ』というように、他人の喜びをいっしょによろこべないのが私の姿です。

また、母親の心と如来さまの慈悲はとても「似ている」けれど、「同じ」ではありまん。なぜなら、母の思いは、自分の子ども、つまり我が子だけへのものです。

「うちの子」だから、可愛いのです。「よその子」だったら、注射の針が刺さっても、痛くはありません。

一方、如来さまの慈悲は、生きとし生くるものすべてに注がれます。「うちの子」だとか「よその子」という区別はありません。

だから、十方衆生 みんな「うちの子」、みんな「わが子」なのです。