ひらがな法話hirahou
阿弥陀さまからのラブレター
あるお寺のご法座でこんなお話を聞きました。
あるところに とても仲良しの老夫婦がいました。
ところが、おじいさんが検診に引っ掛かり、家から遠く離れた町にある病院に1ケ月ほど検査入院することになりました。
おじいさんは、これまで どこへいくにもおばあさんといっしょでしたから、病室で一人でいることが さびしくて、おばあさんに手紙を書きました。
「おばあさん、病院では検査もありますが、あとはじっとしているだけで畑にも行けません。家にいたら、おばあさんと話もできるのに…。だから一日に何度もあなたのことを思い出しては、わが家の方の空を眺めています。」
おじいさんからのこんなラブレターに対して、おばあさんから返事が届きました。そこには、
「おじいさん、病院では一日に何度も私のことを思い出してくださるそうですね。
私はといえば家にいる時、おじいさんのことを思い出したことは一度もありません。」
とありました。さらに、つづけて
「なぜならば、わたしは片時もあなたのことを忘れたことが ないからです。忘れることがあれば、思い出すこともあるでしょう。
でも、おじいさんのことを忘れたことがないので、思い出すこともないのです、いつでも おじいさんのことを思い通し、思い続けでいます。」
それは、おじいさんの思いを越えたラブレターでした。
さて、正信偈のなかに「大悲無倦常照我」という言葉があります。
大悲、つまり如来さまが私のことを慈しんでくださるお心は、倦む(うむ=あきる)ことなく この私をいつも照らしていてくださる、という意味です。
私は 朝な夕なに思い出しては仏さまにお参りしますが その間は忘れています。
阿弥陀さまは、倦むことなく、つまり忘れることがないので、私を思いづくめ照らしいてくださいます。
ということは、私のもとに届いた 南無阿弥陀仏は 如来さまから私宛のラブレターなんですね。