ひらがな法話hirahou
わすれもの
老化現象の一つに物忘れがあるそうですが、ある日のこと、母(当時70才)が、居間にやって来て、何やらウロウロしています。
何か探し物かと思いきや、探す物が見つからないのじゃなくて、「何を探しているのか」ということを忘れたみたいです。
「さて、自分は何をとりに来たんだろう?」と母は自分の用事が思い出せなくて、あせっています。挙句の果てに、居合わせた私に、
「オマエ、知らないかい?」とたずねます(僕がアナタの用事を知ってるわけないでしょ!)
「困ったね」と言うと、
「大丈夫、いい方法がある…」といいます。
どうするのかと思いきや、その用事を思い立った場所へもどればいいといいます。これは、どうやら万国共通の解決策のようで、母は、もとの部屋に戻ったとたんに、
「そうそう、裁ちバサミをとりに来たんだ」と喜んでいました。
さて、それでは、私たちが「この世に生まれてきた用事」とは、何なのでしょう?
答えられますか?ものを探しながら、何を探しているのか忘れたときには、とても、あせります。なんとか思い出そうとします。それでも、だめなら、「もとの場所」へもどれば、思い出したりします。
しかし、この世に生まれ来た用事はどうでしょう?
何のために生まれてきたのか、たずねもせずに、あせりもしない。また、もとの場所へもどると言っても、お母さんのお腹の中へはもどれないし…。
何のために、生まれたのか…。それは、そのまま「何のために生きているか」ということであり、「どこへ向いて生きているか」ということでしょう。
それを、たずねることからが 始まりです。
人生の「わすれもの」…ありませんか?
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