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放言御免hougen-gomen

華やかさのかげに


ただ見れば 何の苦もなき 水鳥の
足に閑(ひま)なき  わが思ひかな
~水戸黄門(徳川光圀)~

これは、水面を優雅に滑るように泳ぐ水鳥も その水面の下では 足ひれを休むことなく動かしている…。
外(側)からみれば、楽(簡単)そうに見えることでも、その影(裏) には他人の知らない苦労(努力)があるという意味だろう。

私は野球に詳しい方ではないが、イチロー選手を見ていると、さり気なく 簡単そうに捕球するプレーも、素早いスタート、的確な判断、鍛え抜かれた瞬発力に裏打ちされているのだと思う。
しかし、その影にあるイチロー選手の平生の不断の努力を私たちは目にすることはない。

並みの選手なら、それと同じ場面で、スタートが遅れて捕り損なうか、辛うじて追いついて捕球して逆に「ファインプレー」と賞されるかもしれない。

思うに、目に見えない影の努力(苦労)が 大きければ大きいほど、表舞台はかえって 平然と見えるのかもしれない。

でも、私たちは どうしても他人を自分の見える範囲で判断してしまう。そのくせ、反対に他人が自分のことを、上辺だけで 決めつけようとすれば、「何もしらないくせに…」と腹が立つのだが。

だから、
「坊さんは気楽でエエなー。坊主丸儲けだねー」なんて言われたら、人の苦労も知らないで…と面白くない。
そんな時、
「そんな エエことばっかりじゃないですよ…。たとえば…@@@…」などと言っても 聞いてはもらえない。

そこで、最近は 同様の質問(いいがかり?)に対しては
「そうですよ、お坊さんはとってもいいですよー。サイコー!何なら替わってあげましょか!」と答えることにしている。

すると 相手は不思議に
「いぇ、いや… (^^ゞ ケッコウです…ホントは辛いこと たくさんあるんでしょ(^_^;)」と黙る。

「替わってみる」ことによって 側から見えないことが知られるのだろうか。これは、自分をわかってもらうときだけでなく、逆に相手の痛みにうなづく時に使いたい方法だ。

笑顔の下に隠された涙…。さりげない言葉・仕草の中に込められた 優しさ。表面の華やかさと内側の悲しみ・苦しみとのギャップ(格差)が大きいほど、その人生に深みを感じてしまう。

どんな人にも 他の人には知られることのない 苦悩を抱えて生きている。そして、 仏さまは その 水面の下の 「もがき」・「あがき」を ちゃんと知っていて下さる。だから、こんな自分でも前を向いて歩いていける。

いやぁ~、お坊さんって、ホントーにいいですねっ! 放言御免。