放言御免hougen-gomen
動かない「ふるさと」
「お墓を田舎から都会の霊園に移そうと思いましたが、止めることにしました。」
近年、こういう言葉をよく聞かされるようになった。
その理由は、概ね次のとおりである。
自分は、大阪に家を建てたので、家の近くに墓を移そうと考えたけれど、次の世代を担う長男は 東京、次男は九州、三男は国外にいる。
そして、いずれも今の地に居を構えそうである。
ということは、大阪に墓を建てても、将来的には意味がなくなる。ひと昔まえなら、家を建てるということは、その地に末々まで留まることを意味していたが、現代は、それこそ地球的規模で 家族が移動する。
結論。自分も次の世代も、家を建てる場所はその世代限りのもの。
それならば、我々家族が どんなにその居を変えようとも、決して変わることのない場所にお墓を…。
そう、それがふるさと。
そして、そのふるさとで自分たちのいのちの歴史を形として表しているのがお墓であった。
だから、ふるさとの墓は、ずっとこのままにしていよう…ということである。
変わっていく自分たちだからこそ、変わることのない ふるさとを大切にしたい…。
何だか 嬉しくなってきた。そう、お寺も 動きゃしませんよ!
いつだって アナタの帰りを待っています。
コロコロ変わる(末通らない)私だからこそ、どんなことがあっても変わることなく(見捨てることなく)私を照らしてくださる阿弥陀さま…。
ふるさとにいると、阿弥陀さまの気持ちが、ちょっとワカル…?放言御免。