放言御免hougen-gomen
危機意識と企業努力
わが温泉津町は、過疎化・高齢化が全国トップレベルで進んでいる。その上に近年の社会経済事情も 重なって、お寺の法座(行事)への参詣者数は年々減少の一途をたどっている。
そこで ふとしたことから、「必ず100人がお参りして下さる法座(行事)を開こう!」と思い立った。(※ 毎月の法座は、報恩講と才市法要を除けば、100人を超えることはまずない。) これが「百人会」の発端である。
それまでは、案内チラシを配り、ポスターを貼っただけで、門徒さんの参詣を「待って」いるだけだった。自分をご門徒さんの立場に置き換えて考えるに、これではお寺に参るはずがない…。
仮に、お参りを勧めたとしても、相手が「忙しいから…」といえば、「そうですよねぇ…(^_^;)」と引き気味(遠慮がち)であった。ご法話では、「世間のことより真実の教えに出あうことの方が大切です」と言いながら…である。
しかし、100人という数字にこだわると、じっとしていられなかった。
町で出会うと「今度のご法座、お参りしちゃんさいよ!」
電話の終わり際にも「ご法座に 参っちゃんさいね!」
「忙しいから…」と相手が答えても、
「まぁ、そう言わず、一度 その体を本堂の中に置いて下さいな。今回は 何が何でも100人に座ってもらいたいの。あなたが来なけりゃ99人なの…。」
「しょうがない。ご院家(いんげ)さんにそこまで言われちゃ…。」
そして、いよいよ目標の100人が見えたころには、戸別訪問。
「待ってますよ。」「はい、参りますよ。」
「絶対ね!名前書いとくよ。(参詣予定者名簿にチェック)よし、93人目。
…それまでの自分には考えられないほど、声をかけ、呼びかけた。もちろん、坊守も前坊守も懸命にお参りを勧めてくれた。
そして、第1回から今日の 第14回目の百人会まで、毎回100人を越えるお参りをいただいている。ようこそ、ようこそ。
思うに、100人という数は、私たち寺側に「危機意識」と「企業努力」をもたらしてくれた。100人ラインという「危機意識」が、お参りを精一杯勧めるという「企業努力」につながるのである。
そして、前回と同様に今回も百人がお参り下さるとは限らない。毎回毎回が、100人への挑戦である。
同様に、100人という数は、お参りされる側にも、「自分が参らなければ…」という存在感と 「みんな(百人)で参る…」という安心感を生んだと思う。この百人会で 「初めて お寺に参った」とか、「お説教を聞くのも いいもんだ」という声を聞かされると、この上もなく嬉しい。
おかげさまで、無事14回目を終えることができた。
ちょっとした充実感の中、うれしくて 放言御免。
PS
この激しい過疎化高齢化の中では、やがて100人を割ることもそんなに遠い将来のことではないだろう。だが、人数は究極の問題ではない。目的は、アナタ自身がお寺に参って、仏さまのお話を聞いて下さることである。他人のことではない。アナタ一人=百人なのである。