放言御免hougen-gomen
同じ方向を・・・
私の青年時代、若い男女のデートの定番といえば「映画」だった。
だが、私には どうして映画なのか、不思議でならなかった。なぜなら、せっかく二人でいるのに、何時間も黙って椅子に座っている映画など、無意味に思えたからである。
私なら そんなことしない。同じ時を過ごすなら、二人で運動するとか、喫茶店で話をするほうが、ずっと二人の出会いが深まると考えた。だが、残念ながらそれを実行する相手がなかっただけのこと。
数年前、boumori と二人で映画を見た。その後、喫茶店でお茶を飲みながらの話である。
「あの場面での主人公のあのまなざし…。よかったぁー」
「ほんとだね。それから、その次のセリフ…。」
「そうそう♪」
…と二人で盛り上がった。
もし、どちらかだけが映画を観て、その感動をどれほど詳しく説明したとしても、「ふーん、そうなんだ」で終わりだろう。
二人が、時を重ね、同じ方向(映画)を向いていればこそ、一言で通じ合える世界が生まれたのだ。きっと、かつての恋人たちは、同じ方向を向くことの素晴らしさを無意識のうちの心得ていたのだろう。
こうして私は、「向き合う」、「出会う」…ことも大切だが、同じ方向を向くことの素晴らしさを考えさせられた。
因みに、現代の家庭ではどうだろう。とても家族が同じ方向を見ているとは思えない。テレビにしても、昔なら一台のテレビをチャンネルの奪い合いをしながら 同じ番組を見ていた。でも、現代は一人に一台。別々の部屋で異なる番組を見ている。みんな違う方向を向いている。
思うに、現在の家庭で唯一 同じ方向を向ける場があるとすれば、それはお仏壇である。仏さまにお参りする時には、みんな同じ方向を向いている。そして、いのちの行方も、同じ将来(浄土)を持っている。
そのお仏壇さえない現代の家庭は、家族は、どこを向いているのだろうか。放言御免。