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放言御免hougen-gomen

弔 電


お葬式の時の弔電は、喪主宛に届いたものである。
したがって、会葬者に「披露」すべきものではない。

セレモニーの一つとして、取り入れられたのだろうが、なんとも不可解なことだ。

いうまでもなく、弔電を打つということは、会葬することができないからである。えげつない言い方をすれば、
「葬儀に参列したい気持ちはあるが、自分には その葬儀よりも、もっと大事な用件があるから、弔電で済ませておく。」
ということだ。

それならば、葬儀の時間に、如何なる理由であれ、別の場所で自分の用事をしている人の名を読み上げることは、間尺に合わない。

寒い中(暑い中)、都合をつけてわざわざ足を運んで下さった方々に対して、失礼千万なことである。

もっとも、会葬者の方も、弔電を聞きながら故人や喪主(遺族)の付き合いや社会的立場を探る手がかりにしている場合もあるようだが…。

当地では、ささやかな抵抗として、弔電を読む場合、「葬儀開始に先立って」(つまり、式進行の次第に入れないで)行うことになっている。

読む、読まない…。考えてみれば、どうでもよいこと。放言御免。