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住職ノートnote

やすらかに眠らないで


『どうぞ、安らかにお眠りください…』

これは葬式の時、弔辞などで、よく耳にする定番の文句です。
でも、ちょっと考えてみましょう。

『安らかにお眠りください』というのは、言い換えれば、『起きないで下さい』ってことです。なぜ、「起きないで…」なのかといえば、『迷って化けてタタってこられちゃ、困るから』ってことじゃないですか・・・?

いかにも亡き人を思いやる、きれいな言葉のそのウラに、こんな意味があるように思えてなりません。亡くなられた人を「迷える亡者」と決めつけた上で、迷った挙句、生きている我々の幸せをこわさないでほしい…と願う 姿がチラつきます。

ここでは、迷っているは亡き方で、自分は迷っていないということが前提です。

さて、仏教では、『眠れ、眠れ・・・』ではなくて、その反対に『目覚めよ、目覚めよ』となります。何に目を覚ますのかといえば、真実(ほんとうの世界)に目覚めよというのです。

アテにならないものをアテにして、自分中心にもの見て、苦しみ悩む、迷いから目を覚ませ、というのです。その迷いを迷いであると気づき、迷いを離れ、真実に目覚めた方を『仏』=覚者というのです。

夢の中で、喜んだり苦しんだりした後、目が覚めて「な~んだ」と気がつくことがありますよね。その「な~んだ」に似ていると思うのです。

ところが、その夢を夢と知ることが夢の中では難しい。迷いを迷いと気づくことが難しいように。だから、『自分は迷ってなんかいない』と思ってしまう。でも、それはちょうどお酒を飲んで『酔ってなんかいないぞ』と言っているのと同じです。

今、みんな寝ている時に、家が火事になったとしましょう。そこで一人が目を覚まし、火事に気づきます。すると、みんなを起こそうとするじゃないですか。
「起きろー」って。「目を覚ませ」って。

真実に目覚めた仏さまも、じっとしていられません。迷いの中にいる私に呼びかけてくださいます。
「目覚めよ!」と。

だから、「やすらかに 眠らないで…」