住職ノートnote
親指・小指の法則
仏さまと私の関係(間柄)は、親と子の関係にたとえられます。
まず、今空いている方の手を握りしめてみて下さい。それから、親指と小指の二本をのばして立てます…。
右の絵のようになりましたか?
これは、「親子の関係」(=仏さまと私との関係)を示しています。
では、親指を曲げて下さい。親指は下の絵のよう子指の方へ曲がりますね。
これが、子どもを思いやり、心配する親の姿です。
子どもが幼いときは、「道路の飛び出さぬように…」
学校へ行くようなれば、「勉強がわかるだろうか…」
やがて、就職等で親元を離れれば、離れた遠くまで思いをかけて、「無理していないだろうか…」と気になります。
そして、結婚して所帯を構えても、「仲良くやっているだろうか…」と心を届けます。
ご近所のお年寄りから聞かせていただいた 「子どもが小さいときは、心配も小さい。だけど、子どもが 大きくなるにつれて、心配も大きくなる」という言葉は、まさにその通りであったと思い知らされます。
さて、子指を曲げてみたら、どうでしょう?
「父さん母さん、いつも心配有難う」、と親指の方を向くかといえば…。
残念ながら、小指は親指の方へは曲がりません。
この絵のように全く違う方を向いています。親の心配をよそに、親のすること、言うことに対して、「うるさい」、「わかっている」と よそを向く子どもの姿のようです。基本的に、子指はどんなに親指の方に向けて曲げようとしても、決して曲がることはありません。
ここまで読んで、「ほんとねぇ…」と うなづいて下さった方は、自分が親指の側に立っていらっしゃいませんか? しかし、その親(指)も、自分が子ども(小指)の時は他所を向いていた…。その親もまた…、そして、そのまた親も…、です。
今、この大いなる いのちの流れの中において、阿弥陀如来さまとこの私もまた、親子の間柄と引き当てて聞くことができます。
もちろん、如来さまが親指で、
この私が子指です。
如来さま(親指)は、いつでも、どこでも、この私のこと(小指)をおもいどおし、心配し通しで、決して目を離すことはありません。 ところが、小指のこの私は、「忙しい、忙しい」の毎日で、なかなか如来さま(親指)の方を向いて 耳を傾けることができません。
裏を返せば、こんなふうに、よそを向く小指(私)だからこそ、親指(如来さま)が小指の方を向かずにはおれないのです。
よそを向く私と、そんな私見捨てることが きでない仏(如来)さま。
親指と小指を曲げながら、如来さまと私の関わりを思い知らされることです。
※ここにある「手ー指」の絵は、ONSAIの友人の画伯(←自称)が、このために心血を注いで描いてくれたものです。ここに深甚の謝意を表します。